連載コラム 「クリエイティブ・ドイチェラント」   

第30回「クンストシュテッテ・ボッサード」

12.12.31

ハンブルクの南方にリューネブルガーハイデという大荒野が広がっています。夏にはエリカの紫の花が一面に咲き乱れる自然保護公園です。その北端のリューラウ村、モミの木林の奥深くで芸術家ヨハン・ミヒャエル・ボッサード (1874~1950)は半生をかけて、理想の総合芸術生活環境を創造し続けました。

ボッサードは19世紀のブルジョワ文化に反抗して、建築や彫刻、絵画、工芸、ランドスケープ、音楽、文学、食生活、日常文化、衣服、人間生活に関わるすべてを芸術としてリフォームすることを夢見ていました。1911年、初めてリューネブルガーハイデをハイキングで訪れ、創造に集中できる静寂、創造力を掻き立てる自然環境に圧倒され、まさに衝動買いで3ヘクタールの土地を村の農家から購入します。2つの世界大戦を挟んで40年をかけたプロジェクト、北ドイツの荒野に手づくりで実現されたボッサードのビジョンは「クンストシュテッテ(芸術の場)・ボッサード」として一般公開されています。

ボッサードは1912年に住まいとアトリエの館の建設を開始しますが、当時はハンブルクの美術学校で教えていて、週末と休暇を利用しての作業に限られました。今と違い移動も大変で、汽車を乗り継ぎ、最後は馬車か徒歩で、退職するまでの30年間往復し続けたのです。その道のりを考えただけでも気が遠くなります。

煉瓦の建物は1つのスタイルに当てはめることのできない独創的なデザインですが、北ドイツの農家の装いで、19世紀末期の都市化に抵抗して地方建築の伝統美を新解釈しています。1926年に美術学校の教え子だったまだ若いユッタさんと結婚してからは二人三脚で、第2の建物である正方形の「芸術神殿」の建設に取りかかります。自給自足のための果樹園、菜園、家畜園もあり、鴨や鶏、羊、豚の畜舎も建設されました。正方形にデザインされたトウヒ林は、芸術神殿に対し樹木神殿と呼ばれます。

壁の煉瓦石の色合いや形態が独特ですが、オルデンブルク産のクリンカー煉瓦のアウトレットが使われています。コストが節約できるのに加え、1つ1つが違う焼成具合のため、パーフェクトな上質煉瓦なら生み出せなかったであろう仕上がりで、とても生き生きとしています。ボッサードは自分で幾何学的なフォルムの煉瓦もデザインして焼成し、市販の煉瓦の間に組み込みました。それでもまだ造形芸術的に不足だとして、さまざまな陶製の彫刻も付け加えていきましました。

ボッサードは1874年スイスのツークの生まれ。子供時代はそれは辛いことばかりでした。職人だった父が友人の借金の保証人になり、家財産すべてを失い、若くして他界。残された母と貧しい生活を送らねばなりませんでした。母子は壁紙貼り職人の工房に身を寄せます。ボッサード少年は登校前に庭で育てた野菜を収穫して売りに行き、学校の休みには遅くまで工房を手伝わねばなりませんでした。そのうえ11歳のときには猩紅熱のため右目を失ってしまいます。

▲住まいの1階は吹き抜けのホール「エッダの間」。北欧神話をメインテーマに隙間なく描き尽くされます。壁は布を貼ったキャンバスとなり、天井には絵を描いた木板を化粧張りしてあります。

▲壁の下部は木に彫刻を施してあります。

学校を卒業後、陶製暖炉製造職人の修行を始めます。工房で素描や塑造の手ほどきを受け、マイスターに芸術の才能を認められました。その後、奨学金をもらいミュンヘンのバイエルン王立美術工芸学校で彫刻を学びました。しかし、奨学金が切れて生活費もなくなり、初めて発表した作品も新聞で酷評され、そのショックでベルリンへと引っ越します。そこでやっと自分の芸術を理解してくれる美術収集家に出会ったのでした。アンデルセンの童話のイラストを依頼され、ボッサードは新しい本のスタイルを発案します。活字ではなく、芸術家の自筆でイラストとより融合させるというものです。さらに建築のファサードデザインにも大きな関心を示していました。

▲「宝物キャビネット」の中には一点一点絵付けした磁器食器など大切なものがしまってあります。

▲扉には赤銅の型押し加工を初めて実験的に試みました。

ベルリンではある一族の霊廟の彫刻的造形を任され、その報酬で1年間ローマに滞在して彫刻を制作。1905年帰国後の展覧会でボッサードの芸術に魅了されたスイスの美術収集家エミール・ヘッグが偶然にも眼科医だったことから、ボッサードはガラスの義眼をもらうことができました。1907年にはハンブルクの美術工芸学校(現造形芸術大学)へ招聘され1944年まで教授を務めます。第1次世界大戦ではドイツ軍の志願兵となりヴェルダンの戦いも経験。看板や将校クラブの塗装の仕事をしながら戦争の現実を描き出しました。そして第2次世界大戦末期には爆撃機の音が轟く中、神々と人間が和合する平和な黄金時代の到来を祈り描き続けたのです。

▲床のモザイクもオリジナルデザイン。

▲「芸術神殿」の緑青の大扉は教会の扉を連想させ奥の神聖な芸術空間へと導きます。

クンストシュテッテ・ボッサードには約7,000点の夫妻の作品が残され、アトリエを改装したミュージアムで常設展示されています。ボッサードにはパブリック彫刻も少なくありません、ベルリンのトレプトウ市庁舎ファサードやハンブルクの証券取引所、民族博物館、クリオハウス、ケリングフーゼン高架線駅など、今でも公共建築の数々で彼の作品に出会うことができます。

▲ガラス屋根を支える4本の木の柱は人間とその文化の興隆、衰退、没落を象徴するセメントのレリーフでカバーしてあります。

▲ボッサードの目は年々光に対して敏感になっていき、窓も天井も昼と夜のアレゴリーのガラス絵で埋められました。

ボッサードは自分の視界が限られるため、人に挨拶されても気付かず、無礼と誤解されてしまうことに悩み、人のいる所へ出かけることを避けていたと言われます。ハンブルクから届く美術界からの招待もすべて断り続けていたそうです。活発で人付き合いのよいユッタ夫人がもっと社交的になって出かけてほしいと望んでもだめだったそう。作品を売ることも念頭になく、創造こそがボッサードの生きる力でした。

▲ボッサードにとって北欧神話が大きなインスピレーションの源でしたが、なかでも片目を知恵の代償にした神王オーディンに自分の運命を重ねていました。オーディンは燭台の焼き物にもデザインされています。

ドイツ旅行の際にクンストシュテッテ・ボッサードの見学をプランする場合はどうぞ庭園の緑も美しい4月~10月、そして日曜日になさって下さい。住まいの上階にあるごくプライベートな空間はガイド付きの見学コースでしか見ることができません。日曜の午前11時から1回に6人までの限定です。ブルートーンと白に統一され、グランドピアノにまで抽象的で複雑なペイントが施されています。廊下の壁がユートピア的な建築の絵で埋まっていたり、遺作となった「エロスの間」など見逃せません。(インタビュー・文/小町英恵)


▲ボサード夫妻

クンストシュテッテ・ボッサードのホームページはこちら

この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。今までの連載記事はこちら

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